2010年6月20日 (日)

新しい学期が始まった

 フィリピンでは、学校は3月に終わり、4月5月と2ヶ月間の長い夏休みを経て、6月から新しい学期が始まります。「学制」も、日本とは少し違っています。6歳で小学校に入学し、6年間の勉学は日本と同じ。しかし、次が「ハイスクール」となり、中学校、高等学校の区別がなく、つながっているのです。しかも、4年間で卒業です。そして、すぐに大学。これは4年間。つまり、大学を通常卒業する年齢が、日本より2年早くて、20歳なのです。

 私がカオハガン島にやってきた20数年前は、カオハガン島は隣のパンガナン島にある小学校の分校ということで、小学校の2年までの授業が行なわれているだけでした。3年になると、隣の島まで海を歩いて通わなければなりません。あまり教育には熱心でなかった島民たちは、そこで学校に通うのをやめてしまいました。ですから、現在、20代後半以上の年齢のほとんどの島民は、小学校2年終了の学歴なのです。

 少し経って関係省庁と交渉をはじめ、私たちも校舎の建設などを手伝って、1994年から島で小学校6年までの教育が行なわれるようになりました。適齢の子どもたち全員が小学校に通い始めたときには、ホッとしたものです。

 さて、今年2010年の6月に始まった新学期。「カオハガン小学校」には、104名の子どもたちの名前が登録され、学びはじめます。そのうち、一年生は35名。総人口が570~580名くらいですから、子どもの数はとても多いですねぇ。

 14年ほど前から、そんな小学校の卒業生から、成績が優秀で意欲の感じられる生徒を選んで、毎年3人くらいをハイスクールへ、その中から、更に良い成績を取り続けている生徒を数名ずつ大学に、奨学金を与えて進学させています。「スカラーシップ制度」を始めたのです。
 はじめのうちは、セブの学校に入学するとおどおどしてしまい、または3階建ての校舎で勉強するのが怖いと言って戻ってきてしまう子がいたりして、なかなかうまくいきませんでした。

 今年は、ハイスクールで14人、大学で9人が、奨学金をいただいて学びます。上級の学校で学ぶことが、カオハガンのコミュニティにしっかりと根付いてきた気がしています。

 もう7年も前の2003年に、たくさんの方のご努力で、ジュディス・タリが日本の大分県の「立命館アジア太平洋大学」に留学することができました。当時発足した直後の、日本で初めての本格的な国際大学です。ジュディスはそこで「エコ・ツーリズム」を学び、無事卒業をし、その後和歌山県の「ホテル浦島」で、ホテル実習を3年間受けていたのです。
 今年4月のはじめに帰島し、4月20日から、私たちが運営している宿泊の施設「カオハガン・ハウス」で働き始めました。
 マネージャーのセベロのアシスタントとして、まずは業務全体を覚えてもらうこと。そのほかに与えた、顧客名簿の整理、予約受付業務、お客様の接待などをしっかりとこなしてくれます。日本語も、昨年の暮に日本で会って感じたときよりも一段と上達している感じです。
 そして、約50日が経過した今、強く感じていることは、ジュディスは、ビジネスをする上での最低限の約束事というか「常識」をしっかりと身につけているということです。頼まれたことを責任を持って実行するとか、その結果を報告するとか、問題があれば途中で相談をするとか。ジュディスには安心して仕事が任せられるのです。
 人間としては、すばらしい人たち。深いモラル(道徳)などは、日本人よりよほどしっかりと持っている。しかし、「ビジネスのコモンセンス」をカオハガンの人たちはまったく持っていない、ということがジュディスを通してしっかりと分かったのです。
 そうこうしているうちに、そんな差を強く感じたのでしょうか、セベロが辞めると言い出したのです。そんなことで、この6月8日から、ジュディスは「カオハガン・ハウス」マネージャーとして働き始めました。
 私たちがカオハガンで行なっている、いくつかの「ソーシャル・ビジネス(利潤を目的としていないビジネス)」のリーダーとして、将来のカオハガンの若者たちを引っ張って行ってくれることでしょう。

 バージニアとオーゴスティーナの二人がミドワイフ(保健士のような仕事)を学び、国家試験に合格しました。今、島で、島民たちの医療援助の世話をしてくれています。

 これからは、大学で学んでいる若者たちが続々と卒業してきます。皆、優秀な成績を取り続けています。
 来年は、イズミラルダが小学校の教職課程を終えて、まず間違いなくカオハガン小学校の先生として赴任し、子どもたちの指導をしてくれることでしょう。

 その後の先生候補としては、サラ、イスリーンが続きます。

 再来年にはジョセリーンがサンカルロス大学の海洋生物学部を卒業し、多分、大学院で学び始めます。カオハガンの沖合いではじめている「カオハガン島熱帯珊瑚礁保護区」を、より高い次元からリードしてくれるでしょう。

 リュニタが4年制のホテル・マネージメント学部を卒業します。

 マルリンとジョナリンが会計を学んでいます。

 今年奨学生に選ばれたジャニスは、看護士に挑戦します。

 数年後には、島に戻って来たこれらの若者たちが、カオハガンというコミュニティの「持続可能な、自立」をしっかりと支えてくれることでしょう。

 これらは、ほんとうにたくさんの方々のご支援の賜物なのです。心よりのお礼を申し上げます。

 ありがとうございます。

2010年6月12日

カオハガンにて 崎山 克彦

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2010年2月18日 (木)

ジュマールとクリサンタの「マグ・アサワ」

 先日ジュマールとクリサンタの「マグ・アサワ」があった。二人とも島で生まれ島で育ったカオハガンっ子だ。

 若い二人が好意を持ち合って結婚の決意をすると、まずマグ・アサワ(婚約式)をする。二人の両親、家族、親戚、そして村の長老などが、女性の家に集まって、婚約を発表し、結婚式の日取りを決める。そして、村の皆がご馳走を食べ、酒を飲み、祝福をし、とにかく楽しむ。村の「非日常の暮らし」の楽しい一日なのだ。

 この二人には、特にジュマールには、私は特別な思いがある。

 父親はプレド。背が高くてハンサムだが、酒飲みで、ジュマールがまだ幼かったころに妻に逃げられ、男手一つで育てたというと聞こえがいいが、もう放ったらかしにされて、ジュマールは育ったのだ。でも、自由にスクスクと育ち、ちょうど私たちが島の子どもたちに奨学金を出して上級の学校へ送る支援を考え始めたときに、島の小学校をいちばんの成績で卒業した。当時はハイスクールに進学するものはほとんどいなかったが、ジュマールをスカラー(奨学生)の一人として選び、藤森様をはじめ日本人の方々に支援していただき、マクタン島にある私立のハイスクールに入学させた。スムーズにという感じではなかったのだが、とにかくジュマールはトップに近い成績で卒業した。バスケットなどでも活躍してけっこう皆の人気者だったようだ。

 それから、私たちは大学への奨学生としてジュマールを選び、セブでいちばんの医科大学「セブ・ドクターズ」に入学させたのだ。藤森様を中心に何人の方々と「ジュマール基金」をつくり、引き続き、ジュマールのスポンサーを日本人の方々に引き受けていただいた。何年かたったら、カオハガン出身のドクターが誕生する。ほんとうに夢を見ているようだった。

 セブの教育庁の役員をされていたコメンダドールさんの家に下宿をさせていただき、通学を始めた。私は安心しきっていた。しかし、前期の成績はあまり良くなくて、かなりのショックを受けたようだった。
 それから数ヶ月後、コメンダドールさんから話があって、ジュマールは学校に行っていないとのことだ。調べてみて驚いた。ほとんどのクラスに出席しておらず、悪い友達と交わり、麻薬にも手を染めているようだ。このままだと退学と告げられたが、本人ももう学業を続ける気分ではないようだ。
 あんなにしっかりとした子だったが、やはりフィリピンでも一、二を競う学力、そしてそこに通う階層の異なる人たちに、ついていけなかったのだろうか。スポンサーの方々にもご理解いただいて、ついに勉学をあきらめたのだ。

 島に戻って私たちの宿泊施設「カオハガン・ハウス」で接待係のような仕事を与えてみたが、かなり集中力に欠けている。そして女性への興味が強いようで、宿泊に来られた若い女性を追い回す。それは困ると辞めてもらった。それからは島でブラブラとして、時々若い娘と問題を起こす。いつの間にか、私もジュマールを問題児扱いし始めていた。

 数年が経った。最近は父親のプレドのように、毎日潮の引いた磯に出て魚を採り暮らしているようだ。皆のうわさではクリサンタと付き合っているらしい。
 クリサンタはちょっとインドっぽい、目鼻立ちのしっかりとした美しい子で、一度日本のテレビがカオハガンでドラマ撮影したときに、主演の緒方直人の恋人役をやったこともある。が、目立つのが好きではない、真面目な女性である。

 ジュマールに話した。
「好きなら、まず、結婚をしなさい。そしてクリサンタ一人を愛しなさい。」
すると、
「仕事とお金がないと結婚ができないよ。」
「そうじゃないんだ。結婚しても、海に出て魚を採れば食べるのには困らない。
そうして二人でしっかりとした暮らしを築けば、いつか雇ってあげるよ。」
ジュマールは丸い大きな目を輝かせていた。

 そして、数日前、マグ・アサワの話を聞いた。そして招かれ、ラム・コークを飲みながら二人に話をした。
「クリサンタ一人を愛するんだよ。」
「当たり前だよ。」
「そして、毎日海に出て魚を採って、まず暮らしのベースを築くんだよ。」
二人はニコニコとうなずく。

 頭の良い子だし、辛い経験も経てきた。浮つかないで、しっかりとした暮らしの基盤をつくり、将来、若者の代表の一人になってほしい。そしてお世話になった藤森さんたちに恩返しをして欲しい。心から祈っている。

2010年2月15日

カオハガンにて

崎山 克彦

Chapel
カオハガンの教会
ここで結婚式を挙げることになるでしょう。
(記:「南の島から」事務局)

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2010年1月 8日 (金)

年のはじめに

あけましておめでとうございます。

 昨年2009年は、NHKの大型環境番組「未来への航海」の取材があり、10月には、立命館大学国際平和ミュージアムで「南の島の奇跡:フィリピン・カオハガンのキルト展:持続可能な経済的自立の歩み」が、一ヶ月間開かれました。このようなしっかりとした視点から私たちがカオハガンで行ってきた活動が認められてことを、とてもうれしく思っています。

 また、10月には、「夢現エデュテイメント」主催の「Send to 2050」という大会に、カオハガンの子どもたち6人と、先生が招かれ、日本の子どもたちと「2050年の未来」を話し合い、そしてバスケット、ダンスの交流を行いました。
 それから、私たちの奨学金で学んでいたオーゴスティーナとバージニアがミドワイフ(保健婦のような資格)の国家試験に合格することができました。今、二人で、島の医療活動の手伝いをしています。
 とても良かったと思います。

 しかし世界不況の影響を受けてか、カオハガンを訪れてくださる方の数が少しだけ減っています。今年はぜひ、よりたくさんの方々にカオハガンを訪れていただき、「何もなくて豊かな」暮らしをエンジョイすることで、カオハガンの諸活動を助けていただければとお願いする次第です。

 それから昨年6月の末に、マネージャーの青木さんが帰国したのを機会に、近い将来島民の自立を考え、宿泊施設「カオハガン・ハウス」の実務運営を島民たちの手だけで行うことを始めました。新しい責任者セベロを中心に、スタッフの全員が慣れない仕事を果たそうとがんばっています。当面、日本語の面などでご不便をお掛けすると思いますが、しばらくの我慢をお願い申し上げます。

 正月の三が日、カオハガン沖に新しく創設中の「カオハガン島熱帯珊瑚礁保護区」の海を、毎日泳ぎました。カオハガン島にご滞在のお客様からご希望があれば、まだ正式にはオープンしていない保護区に私が同行して入域することを始めたのです。
 比較的浅い海域に、新しい珊瑚が芽を噴き、カラフルな何千という小魚が群れ、たくさんの中型の回遊魚が泳ぎ回り、夢のような未体験の空間になっています。お客様も、皆、心から満足をされたようです。
 今年は一年かけて、海域をしっかりと保護します。来年2011年6月の海域オープン時には、生物の多様性と「つながり」が楽しく感じられる、世界に誇れるような熱帯珊瑚礁の海が目の前に現れることでしょう。
 現在、「カオハガン島に熱帯珊瑚礁、海洋生物を育てる会」を組織し、会員を募集しています。
次回詳細をご案内いたしますので、ぜひ、たくさんの皆様のご参加をお願いするしだいです。

 2012年に予定している、島民たちの経済的な自立に向かっていっそうの努力をしてまいります。皆様の引き続きのご協力を心よりお願いいたします。

 2010年の皆様のご健康と、ご多幸をお祈りしております。

2010年1月8日

カオハガンにて 崎山 克彦

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2009年9月20日 (日)

うつくしい人魚たち

先日、三人の若い女性が島に来てくれました。挨拶をして、一度お会いしているなあ、とわかったのですが、はっきりと思い出せません。食事をしながら話をしていて、ああ、思い出しました。一年ほど前に、地球の歩き方主催のツアーで島に来てくれた方たち。十人くらいの学生さんばかりのツアーで、いくつかの島民の家庭にホームステイをして、とても楽しんでくれたのをはっきりと思い出しました。

その帰る前の日だったかなあ、島民たちの住んでいる島の東側の海岸に行ってみると、年頃の女の子たちが、洋服を着たまま、仲良くなった子どもたちと海に入って、ほんとうに子どものように、水を掛け合ったり、寝転んだり、何もかも忘れたように、無垢に帰ったように遊び戯れていたのです。それを見て、目に涙が溢れてきてしまったのを、はっきりと思い出したのです。その話をしたら、「帰るときに、それを崎山さんが話してくれてとてもうれしかった。なのに覚えてくれてなくて」と笑いながら怒られてしまいました。

今回の滞在は五日間。ホストファミリーの家を訪れて、覚えてくれていたと大喜び。それからは、前と同じように、ずっと、子どもたちや、島民たちとほんとうに楽しそうに過ごしてくれました。

二人はもう大学の四年生。就職も決まって、一人は大新聞の記者として採用されたそうです。一人も大きな食品会社。しっかりと勉強もしていて、そしてこんなにも無邪気になれて。こんな若い人たちを見ていると、これからの日本にも夢が持てるなあ、と思ってしまいます。

今回の帰る前の日には、今、カオハガン島の南海岸の沖をブイで囲って保護をしている「カオハガン島熱帯珊瑚礁保護区」にシュノーケリングをつけて、一緒に潜ってもらいました。保護を始めてもう約一年半がたっていて、サンゴが生育し、魚たちがほんとうにいっぱい。岩のようなのや、枝のようなのやいろいろな形、そして色とりどりのサンゴが群生し、そこに、何百、何千というカラフルな、たくさんの種類の熱帯の魚たちが泳ぎまわっています。

水深は、二、三メートルくらいの浅い海。手を伸ばせば魚たちに触れられる距離。その中を、彼女たちがゆっくりと泳ぎ、ゆったりと身体を水に浮かべて、あまり動きません。まるで、その夢のような光景とゆっくりと流れる時間に、溶け込んでしまっているよう。うつくしい、人魚のようでした。
マスクの中の目に、また涙を感じてしまいました。皆で、ほんとうに夢のような、別世界の時間を過ごしたのです。

「初めて海の世界をのぞいてみたのですが、何て素敵な…。言葉を失いそうでした。まだまだ知らない世界に向かって力強く前進!」。

帰るときに皆に書いてもらっているノートに、そう書いてありました。ありがとう。

もう何回も潜っている私も、シュノーケルで保護区の浅い海をゆっくりと泳ぐと、別世界にいる自分を感じてしまいます。目には見えない微小な生物を含めて、まさに多様性の世界なのです。そして、そんな皆が「つながっていること」を感じさせてくれる世界なのです。

ぜひ、カオハガンに来て、手付かずの状態に近い熱帯珊瑚礁の海をのぞいてほしいのです。

2009年9月19日

カオハガンにて
崎山克彦

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2009年9月 9日 (水)

2009年9月6日

たいへんご無沙汰してしまいましたが、これから、また、定期的に「カオハガン日記」を書かせていただきます。よろしくお願いいたします。

10月に日本で、カオハガン関係の大きなイベントが二つ開かれます。

一つは、京都の「立命館大学国際平和ミュージアム」で10月いっぱい開かれる、「南の島の小さな奇跡:フィリピン・カオハガン島のキルト展:持続可能な経済的自立のあゆみ」という、「カオハガン・キルト」創作の歩みを追った展示会で、代表的な作品約60枚、その他の資料が広い会場で展示されます。
そして、その意味を、京都大学文化人類学の清水展教授が解説をしてくださいます。すばらしい展示会ですので、ぜひ、ご覧になってください。

10月10日(土)の午後一時半からは、清水展先生、エコツーリズムがご専門の小方昌勝先生、写真家の熊切圭介さん、吉川順子、崎山などによるパネル・ディスカッションが開かれます。
お問合せ先は075-465-8151です。

一般財団法人「夢現エデュテインメント」が主催して10月の12日に尼崎市で開催される「未来づくり:世界の子どもサミット」『SEND to 2050』」にカオハガンの子どもたち7人とカオハガン小学校のニーニャ先生が招待されます。

アルシェルは、スピーチのコンテストで「私の夢」について語ります。
ジーン、ロエナ、アグネスの三人はダンスのコンクールに、カルロ、マルロ、アランはバスケットの大会に出場します。会場は、兵庫県尼崎市記念公園総合体育館です。

尼崎の出身で、アメリカのプロ・バスケットボール・リーグで活躍していた森下雄一郎さん、そして歌手のAIさんなどが主催し、2050年には社会の中心になっている子どもたちのために、夢を実現するお手伝いをしようというイベントです。私、崎山が10月9日に8人を引率して関西に参ります。
2050年のカオハガンを背負って立つ子どもたちが、今、小さな胸をいっぱいに膨らませています。皆さんも大きな応援をしてください。
お問い合わせ先は06-6539-8188です。

それから、今月9月5日から23日まで(木曜、金曜はお休みです)、昨年も開催した、鎌倉の由比ガ浜海岸に面したギャラリー「ボーン・フリー」で、カオハガン・キルトの展示・即売会が開かれます。すばらしいロケーションの会場です。ぜひ、お出かけくださってカオハガン・キルトをお買い上げください。期間中、吉川順子がずっと会場につめております。
お問合せ先は0467-23-6319です。
※会場の電話はありません。こちらも昼間は留守にしていますが、メッセージを残していただければこちらからかけなおします。

カオハガン島には、いつものように爽やかな風が吹き抜けています。

お元気でお過ごしください。

ありがとうございます。


カオハガン島にて
崎山 克彦

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2009年7月 6日 (月)

2009年7月4日

七月一日に、カオハガンは「すばらしい未来への目標」に向かって新しいスタートを切った。三年後、長くて五年後の「島民たちの手による、持続が可能な、経済的自立」がその目標だ。

今、カオハガン島には五百三十人の島民たちが暮らしている。潮が引くと、みんなが浅い海に出て、その日に食べる小魚や貝を採ってくるという、半分は自給自足の暮らしだ。仕事といえば、「カオハガン・ハウス」という名の宿泊施設で働いたり、一年前に始まった「カオハガン島熱帯珊瑚礁保護区」の警備をしたり、風に吹かれながらゆっくりとキルトを縫ったり、ゴザやクラフトをつくったり。そんな仕事からの収入は国連の統計にようと「『最貧国』の半分」くらいなのだが、島民たちは、うつくしい海洋の自然のなかで、ゆっくりゆったりとした「何もなくて豊かな暮らし」をしている。みんなが「今、とってもしあわせ」と思っているし、子どもたちは笑顔で輝いている。

今までも、「カオハガン・ハウス」の運営に、島民たちが出来るだけ携わってもらっていたが、今年の七月から、日本人のマネージャーを置かずに、@「島民たちの手だけでの運営」をスタートしたのだ。新しいマネージャー候補の、若いセヴェロ・アバヤンを中心に、皆で、楽しくがんばっている。

今、「カオハガン・ハウス」の利益金や、たくさんの方々のご援助を得て、島民たちが病気になったときの医療費や薬代などの金額を、私たちで支払っている。また、成績が良く、意欲のある子どもたちに奨学金を出して高校、大学で学んでもらっている。
 これからは、まず「カオハガン・ハウス」「熱帯珊瑚礁保護区」「カオハガン・キルト」の運営を島民たちの手だけで行う。そして、そこからの利益を使って、上記の、「医療、教育などの『福祉』」に使う費用を、島民たち自身で賄う。
これが、新しい目標「島民たちの、持続が可能な、経済的な自立」の中身である。

そのために、皆様にお願いさせていただきたいいくつかのことがある。まずは、今まで通り、一日平均五人くらいの方々にカオハガン島を訪れて、楽しんでほしい。
それから、「熱帯珊瑚礁保護区」は、三十六万平米の「海洋の自然環境」が完全に回復するまでの今後二年間、海域に人を入れずに保護をしなければならない。
また、「カオハガン・キルト」を世界に広めるためにご協力をお願いしたい。キルトをお買い上げいただき、楽しんでほしいのだ。

このように、近い将来の、島民たちの「持続可能な経済的な自立」のために、これからもご協力をお願いしたい。

今、六月に出版された私の新しい本『何もなくて豊かな南の島』が、本屋さんの店頭に並んでいる。ぜひ読んで、カオハガンに来て、楽しんでいただきたい。

ありがとうございます。

カオハガン島にて
崎山 克彦

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2009年6月12日 (金)

「何もなくて豊かな南の島:未来へひらく島 カオハガン」

2009book1

昨夜(六月七日)日本から帰ってきた順子が、私の新しい本の「見本刷り」(見本として、、いちばん最初に何冊か印刷所から出版社に届けられる、刷り上ったばかりの本)を持ってきてくれた。新しい表紙がキラキラと輝いている。
早速、目を通す。ドキドキしながらページをめくる。見終える、ウン、なかなか良い!

本のタイトルは、「何もなくて豊かな南の島:未来へひらく島 カオハガン」。
私の九冊目の本になる。
この一年以上、構想を練り、原稿を書き、出版社に出版、編集をお願いし、すばらしい写真を使わせていただき、レイアウトをお願いし、たくさんの皆さんのご協力を得て、やっと誕生した私の分身、子どもなのだ。とにかくうれしい。

数年前、私の台湾の友人で、出版社に勤めていた曹翠雲さんが、私の本の中国語版を二冊台湾で出版してくれた。
一冊目は翻訳だったが、二冊目は私のいろいろな本から曹さんが文章を選んでまとめ、編集してくれた本で、タイトルは「我買了一個島」。写真がたくさん入ったその本が中国語圏で評判になり、大勢の方々に読んでいただいたようで、現在、カオハガン島に来てくださるお客さまの二割以上が中国語圏(台湾、ホンコン、マカオ、シンガポール、マレーシア、そして中国本土)からなのだ。
とてもうれしい。島にもその本が置いてあるが、中国語の読めない日本の人たちも、写真に魅せられてけっこう買っていってくれる。
今回の本は、その本から構想をいただいて創った本である。

いつも写真を使わせていただいている日本写真家協会副会長の熊切圭介さん、中国語版の写真を撮ったTOMIO陳さん、そして熊切先生の生徒だった若い渡辺わか菜さん、二人の写真家の秀作を百七十七枚散りばめた。カオハガンのうつくしさ、楽しさ、すばらしさが、ビジュアルにヒシヒシと伝わってくる。

文章はコンパクトだが、しっかりとした内容があり、何か詩のような感動を与えられたらすばらしいなと思いながら書いた。

伝えたかったことは、私が、この二十年で学んだ、島民たちの「自然とともにある、自然の流れに沿った生き方」のすばらしさだ。そして、そのカオハガンの海洋の「自然」と、島民たちの幸せの象徴である「笑顔」を、文章と写真で感じとって欲しかった。

それから、島との出会い、戸惑い、島で何をしようとしたのか、そして、たくさんの方々の協力を得てこの二十年間にやってきたこと、これからの夢、などが書いてある。そんな本である。

同時に、この本は、カオハガンを知ってもらうための案内書にもなっている。
「カオハガン・キルト」や「熱帯珊瑚礁保護区」をはじめ、カオハガンの楽しみ方が詳しく、たくさん書いてある。
これから、私たちが大きな変革をしなければならない今という時に、将来を考える、大切な本だと確信している。ぜひ、読んでいただきたい。

全国の書店に並ぶのは六月の十二日からです。出版社は「海竜社」です。
よろしくお願いいたします。
ありがとうございます。

二〇〇九年六月八日

カオハガンにて
崎山克彦

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2009年6月 2日 (火)

島で皆で祝ってくれた誕生日

六月一日は私の誕生日だ。
カオハガンに来るようになってからもう十七、八回目の誕生日になるだろうか。

朝から、スタッフたちが「Happy Birthday!」とニコニコと声をかけてくれる。笑顔がとてもうれしい。
午後三時ころから、「順子の部屋」(南の海岸を数分歩いたところにある)に行って仕事をしていたら、アルベルト、ドルフォなど数人がドヤドヤやって来て、大声で「ハッピー・バースデイ」を合唱してくれた。手にはラムとコーラの大瓶を何本か、そしてお盆に何かが盛ってある。一緒に飲もうと誘われて、私は仕事をたたんで、母屋の前の、木陰の芝生に座って宴会が始まった。

強い心地よい風が吹き抜ける。もう何日も続いている風だ。
「ワロワロ(ワロはこちらの言葉で「八」の意味)、強めの風が八日間も吹き続ける、年に何回かある気象現象だ。

酒盛りが始まった。普段と違って、何か楽しく酔ってしまいそうな自分を感じる。

「昔はワロワロのときはたいへんだったんだよ。」ドルフォが話し始める。海が荒れる。当時は持っている船が小さく、そしてセール「帆」で走っていたから、強風のときは海に出られない。
「だから、ワロワロが吹くと一日に食事は一回。椰子の木に登って、椰子の実だけを食べていたんだ。」
いろいろ昔話が始まる。

島の西側にある砂州「ポントグ」がほんとうに美しかったそうだ。
潮の満ちたときでも、百メートル以上も伸びていて、砂が盛り上がっていた。
「その丘にのぼると、海が真っ青に輝いていた。そこからジャンプをしたもんだ。」
その砂を、セブの業者が、リゾート・ホテルに白いビーチをつくるために大量に買っていった。人の背丈くらいの大きな砂袋が、一杯十六ペソだった。
何時のことだったのかと聞いてみると、たった三十何年くらい前のことらしい。

「サンクチュアリー(珊瑚礁保護区)」はすばらしいね、五、六十センチくらいの大きな魚がいっぱい戻って来ているよ」と、保護区の監視をしているアルベルトが大きく手を広げてみせる。
「とても良いことだ。将来のカオハガンにとってすばらしいと思う。」
「もう大きな魚が保護区の外にもあふれ出て、それを、ポコッドという網を引いて捕っている人が多いらしい。」「でもカオハガンの人ではない。ほとんどがパンガナンの人なんだ。」
それから、カオハガンでも、少し大型の漁をしたいという話になった。
十数年前に、そんな漁業をやりたい人を募集したことがある。いくつかのグループ、個人にスタートをするお金を出したが、結局、今まで続いているのはマルセリーノの定置網だけだ。
「続けることが大切なんだよ。魚が採れて、お金が、例えば三百ペソ入ったら、全部使うのではなくて半分は残しておいて網の修理などに使わなくては。」
そんな話しが、島民たちからも出る。少しずつ意識が変わってきているようだ。
結局、二組のグループをつくって、そんな「引き網漁」を始めることになった。
セビオが一番熱心だ。

夕方になって村長のヘリーさんもやってきた。芝生に座り込んで酒を飲んでいる人も、もう四、五十人はいるだろうか。ギターが持ち込まれて音楽が始まる。セブのミュージック・スクールに一年近く通っているイスマエルが中心に、ギターを弾き、歌う。
ランド、ティーバン、ジェフ、ディミー、などなど、何十曲も歌が続き、気分が乗ってくる。

私も何か歌いたくなって、六十年代アメリカにいたときにはまっていた、ジョン・バエツの反戦歌「花はどこへ行った」をえんえんと歌ってしまった。
若い男と女が花の咲き乱れる草原で愛し合っている。そして、男が徴兵され、戦争に駆り出され生命を落としてしまった。長い時間が過去って、そのお墓のある草原には、前と同じように花が咲き乱れている、といった歌だ。
この歌を歌っていると、親しかったアメリカの友人たちが徴兵され、納得の行かぬままベトナムの戦場に向かった当時を思い出して涙がこぼれてくる。
「何があっても、戦争はしてはいけないんだよ」
と話したら、皆も心からうなづいてくれたように感じて、うれしかった。

今年は順子が北海道のキルト展のために日本に帰っていて、いない。
そんなせいか、女性たちは「おめでとう」と言いには来てくれるのだが、すぐに帰ってしまう。女性はお客様の台湾から来ているシンシントウさんだけ。
例のごとく踊りが始まって、えんえんと、十時を過ぎてもまだまだ続くので、皆と握手を交わしてお開きにした。

今年も、楽しい、これからの一年の勇気を与えてくれるような誕生日を、皆が祝ってくれた。
ほんとうにありがとう。

カオハガンにて 崎山 克彦

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2009年5月12日 (火)

島の二人がミド・ワイフの国家試験に合格した

5月6日、すばらしいニュースが飛び込んできた。オーグスチーナとバージニアが“ミド・ワイフ”の国家試験に合格したというのだ。

ミド・ワイフとは、英語の直訳は助産婦といった意味だが、ここフィリピンでは保健婦さんのような資格で、国から各村(バランガイ)に派遣され、予防注射、健康管理、出産の手伝いなど、保健の仕事を担う大切な職業なのだ。

オーグスチーナ、バージニアの二人と、一年遅れて入学したアリシアは、日本の個人スポンサーの方と私たちの奨学金を受けて「バッキング・メディカル・カレッジ」で学んでいた。

創立者で学長のバッキング女史は、私がたいへんお世話になっているエレナさんのハイスクールからの親友ということで、たいへんお世話をしてくださった。
途中いろいろとあったのだが、ほんとうに大勢の方々のお世話になって二人は昨年の10月に卒業することができ、4月から国家試験の専門予備校に通い、4月の末に国家試験を受験したのだ。

7日の夕方、島の西側にある砂州の白い砂に座って深い呼吸をしていたら、潮が引いて沖に泊めた船から、浅くなった海を歩いて何人かが島に戻ってきた。
近くまで来たら、一人がオーグスチーナだった。
走りよって「おめでとう!」
と、思わず熱いハグを交わして抱きしめてしまったのだ。

フィエスタ、お祭りが済んだら、二人を連れてバッキング先生に御礼の挨拶に行き、将来について相談しようと考えていたら、今日、二人が揃って私の仕事場にやってきた。

改めておめでとうと喜び合ってから、「これからどうするの」と話したら、もじもじしてから二人が言った。

「島でヘルス・センターをやりたいんです。
そして島の人たちを助け、恩返しをしたい。」

それは良いアイデアだと、私も考えていなかっただけに驚いてしまった。

確かに大きめの村にはヘルス・センターがあって、けっこう人が集まっているのをよく見かける。
通常だとカオハガンはヘルス・センターを置くには、少し小さめのサイズだが、ここにヘルス・センターができたらすばらしい。

もちろん、予防注射、日常の病気、病人のケアー、出産のヘルプなどをしてもらいたい。
それから、もう10何年も年に二回以上島に来て歯科診療をしてくださっている澤田先生のグループの歯科医療を、島に常駐する看護の専門家がいたら素晴らしく充実させることができるだろう。

それから、私が一番やってもらいたいのは家族計画である。

島のような面積が限られている地域では、人口が増えればどんなに環境を守ろうとしても限度がある。
今、島の暮らしの環境が少しずつ良くなってきている。ありがたいことなのだけれど、島を出て行く人の数はほとんどいなくなる。
昔は生まれた子どもの3分の1が3歳になる前に亡くなっていたそうだが、医療の援助をし始めてから、そんなことはまったくなくなった。人口が増える要素が重なっている。

家族計画しかないと考えて、バッキング先生の仲間のお医者さんグループにお願いして、今までファミリー・プランニングのセミナーをもう何回もやってきた。
が、常駐している専門家がヘルプしないと、これも、なかなか結果が出ない。そんなことも一気に解決されるかもしれない。

将来が明るくなるなあと、一気に想像が膨らんで、何かとてもハッピーになってしまった。

フィエスタには、私が自腹を切って、二人のために豚の丸焼き、レチョンをして祝うつもりだ。

お世話になった皆さん、ほんとうにありがとうございました。

カオハガンにて 崎山克彦

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2009年5月11日 (月)

2009年5月カオハガン日記再開!

諸事情により、休止していたこの「カオハガン日記」を、
2009年5月より再開いたします。

皆さまよりのコメントもぜひお寄せいただきたいのですが、
カオハガンにはインターネットの設備がありません。
随時オンタイムで崎山が確認できませんことをご了承ください。

もちろん、いただいたコメントは定期的にカオハガンへ送らせていただきます。

今後ともよろしくお願いいたします。

「南の島から」事務局
原 育美

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