2009年6月12日 (金)

「何もなくて豊かな南の島:未来へひらく島 カオハガン」

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昨夜(六月七日)日本から帰ってきた順子が、私の新しい本の「見本刷り」(見本として、、いちばん最初に何冊か印刷所から出版社に届けられる、刷り上ったばかりの本)を持ってきてくれた。新しい表紙がキラキラと輝いている。
早速、目を通す。ドキドキしながらページをめくる。見終える、ウン、なかなか良い!

本のタイトルは、「何もなくて豊かな南の島:未来へひらく島 カオハガン」。
私の九冊目の本になる。
この一年以上、構想を練り、原稿を書き、出版社に出版、編集をお願いし、すばらしい写真を使わせていただき、レイアウトをお願いし、たくさんの皆さんのご協力を得て、やっと誕生した私の分身、子どもなのだ。とにかくうれしい。

数年前、私の台湾の友人で、出版社に勤めていた曹翠雲さんが、私の本の中国語版を二冊台湾で出版してくれた。
一冊目は翻訳だったが、二冊目は私のいろいろな本から曹さんが文章を選んでまとめ、編集してくれた本で、タイトルは「我買了一個島」。写真がたくさん入ったその本が中国語圏で評判になり、大勢の方々に読んでいただいたようで、現在、カオハガン島に来てくださるお客さまの二割以上が中国語圏(台湾、ホンコン、マカオ、シンガポール、マレーシア、そして中国本土)からなのだ。
とてもうれしい。島にもその本が置いてあるが、中国語の読めない日本の人たちも、写真に魅せられてけっこう買っていってくれる。
今回の本は、その本から構想をいただいて創った本である。

いつも写真を使わせていただいている日本写真家協会副会長の熊切圭介さん、中国語版の写真を撮ったTOMIO陳さん、そして熊切先生の生徒だった若い渡辺わか菜さん、二人の写真家の秀作を百七十七枚散りばめた。カオハガンのうつくしさ、楽しさ、すばらしさが、ビジュアルにヒシヒシと伝わってくる。

文章はコンパクトだが、しっかりとした内容があり、何か詩のような感動を与えられたらすばらしいなと思いながら書いた。

伝えたかったことは、私が、この二十年で学んだ、島民たちの「自然とともにある、自然の流れに沿った生き方」のすばらしさだ。そして、そのカオハガンの海洋の「自然」と、島民たちの幸せの象徴である「笑顔」を、文章と写真で感じとって欲しかった。

それから、島との出会い、戸惑い、島で何をしようとしたのか、そして、たくさんの方々の協力を得てこの二十年間にやってきたこと、これからの夢、などが書いてある。そんな本である。

同時に、この本は、カオハガンを知ってもらうための案内書にもなっている。
「カオハガン・キルト」や「熱帯珊瑚礁保護区」をはじめ、カオハガンの楽しみ方が詳しく、たくさん書いてある。
これから、私たちが大きな変革をしなければならない今という時に、将来を考える、大切な本だと確信している。ぜひ、読んでいただきたい。

全国の書店に並ぶのは六月の十二日からです。出版社は「海竜社」です。
よろしくお願いいたします。
ありがとうございます。

二〇〇九年六月八日

カオハガンにて
崎山克彦

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2009年6月 2日 (火)

島で皆で祝ってくれた誕生日

六月一日は私の誕生日だ。
カオハガンに来るようになってからもう十七、八回目の誕生日になるだろうか。

朝から、スタッフたちが「Happy Birthday!」とニコニコと声をかけてくれる。笑顔がとてもうれしい。
午後三時ころから、「順子の部屋」(南の海岸を数分歩いたところにある)に行って仕事をしていたら、アルベルト、ドルフォなど数人がドヤドヤやって来て、大声で「ハッピー・バースデイ」を合唱してくれた。手にはラムとコーラの大瓶を何本か、そしてお盆に何かが盛ってある。一緒に飲もうと誘われて、私は仕事をたたんで、母屋の前の、木陰の芝生に座って宴会が始まった。

強い心地よい風が吹き抜ける。もう何日も続いている風だ。
「ワロワロ(ワロはこちらの言葉で「八」の意味)、強めの風が八日間も吹き続ける、年に何回かある気象現象だ。

酒盛りが始まった。普段と違って、何か楽しく酔ってしまいそうな自分を感じる。

「昔はワロワロのときはたいへんだったんだよ。」ドルフォが話し始める。海が荒れる。当時は持っている船が小さく、そしてセール「帆」で走っていたから、強風のときは海に出られない。
「だから、ワロワロが吹くと一日に食事は一回。椰子の木に登って、椰子の実だけを食べていたんだ。」
いろいろ昔話が始まる。

島の西側にある砂州「ポントグ」がほんとうに美しかったそうだ。
潮の満ちたときでも、百メートル以上も伸びていて、砂が盛り上がっていた。
「その丘にのぼると、海が真っ青に輝いていた。そこからジャンプをしたもんだ。」
その砂を、セブの業者が、リゾート・ホテルに白いビーチをつくるために大量に買っていった。人の背丈くらいの大きな砂袋が、一杯十六ペソだった。
何時のことだったのかと聞いてみると、たった三十何年くらい前のことらしい。

「サンクチュアリー(珊瑚礁保護区)」はすばらしいね、五、六十センチくらいの大きな魚がいっぱい戻って来ているよ」と、保護区の監視をしているアルベルトが大きく手を広げてみせる。
「とても良いことだ。将来のカオハガンにとってすばらしいと思う。」
「もう大きな魚が保護区の外にもあふれ出て、それを、ポコッドという網を引いて捕っている人が多いらしい。」「でもカオハガンの人ではない。ほとんどがパンガナンの人なんだ。」
それから、カオハガンでも、少し大型の漁をしたいという話になった。
十数年前に、そんな漁業をやりたい人を募集したことがある。いくつかのグループ、個人にスタートをするお金を出したが、結局、今まで続いているのはマルセリーノの定置網だけだ。
「続けることが大切なんだよ。魚が採れて、お金が、例えば三百ペソ入ったら、全部使うのではなくて半分は残しておいて網の修理などに使わなくては。」
そんな話しが、島民たちからも出る。少しずつ意識が変わってきているようだ。
結局、二組のグループをつくって、そんな「引き網漁」を始めることになった。
セビオが一番熱心だ。

夕方になって村長のヘリーさんもやってきた。芝生に座り込んで酒を飲んでいる人も、もう四、五十人はいるだろうか。ギターが持ち込まれて音楽が始まる。セブのミュージック・スクールに一年近く通っているイスマエルが中心に、ギターを弾き、歌う。
ランド、ティーバン、ジェフ、ディミー、などなど、何十曲も歌が続き、気分が乗ってくる。

私も何か歌いたくなって、六十年代アメリカにいたときにはまっていた、ジョン・バエツの反戦歌「花はどこへ行った」をえんえんと歌ってしまった。
若い男と女が花の咲き乱れる草原で愛し合っている。そして、男が徴兵され、戦争に駆り出され生命を落としてしまった。長い時間が過去って、そのお墓のある草原には、前と同じように花が咲き乱れている、といった歌だ。
この歌を歌っていると、親しかったアメリカの友人たちが徴兵され、納得の行かぬままベトナムの戦場に向かった当時を思い出して涙がこぼれてくる。
「何があっても、戦争はしてはいけないんだよ」
と話したら、皆も心からうなづいてくれたように感じて、うれしかった。

今年は順子が北海道のキルト展のために日本に帰っていて、いない。
そんなせいか、女性たちは「おめでとう」と言いには来てくれるのだが、すぐに帰ってしまう。女性はお客様の台湾から来ているシンシントウさんだけ。
例のごとく踊りが始まって、えんえんと、十時を過ぎてもまだまだ続くので、皆と握手を交わしてお開きにした。

今年も、楽しい、これからの一年の勇気を与えてくれるような誕生日を、皆が祝ってくれた。
ほんとうにありがとう。

カオハガンにて 崎山 克彦

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2009年5月12日 (火)

島の二人がミド・ワイフの国家試験に合格した

5月6日、すばらしいニュースが飛び込んできた。オーグスチーナとバージニアが“ミド・ワイフ”の国家試験に合格したというのだ。

ミド・ワイフとは、英語の直訳は助産婦といった意味だが、ここフィリピンでは保健婦さんのような資格で、国から各村(バランガイ)に派遣され、予防注射、健康管理、出産の手伝いなど、保健の仕事を担う大切な職業なのだ。

オーグスチーナ、バージニアの二人と、一年遅れて入学したアリシアは、日本の個人スポンサーの方と私たちの奨学金を受けて「バッキング・メディカル・カレッジ」で学んでいた。

創立者で学長のバッキング女史は、私がたいへんお世話になっているエレナさんのハイスクールからの親友ということで、たいへんお世話をしてくださった。
途中いろいろとあったのだが、ほんとうに大勢の方々のお世話になって二人は昨年の10月に卒業することができ、4月から国家試験の専門予備校に通い、4月の末に国家試験を受験したのだ。

7日の夕方、島の西側にある砂州の白い砂に座って深い呼吸をしていたら、潮が引いて沖に泊めた船から、浅くなった海を歩いて何人かが島に戻ってきた。
近くまで来たら、一人がオーグスチーナだった。
走りよって「おめでとう!」
と、思わず熱いハグを交わして抱きしめてしまったのだ。

フィエスタ、お祭りが済んだら、二人を連れてバッキング先生に御礼の挨拶に行き、将来について相談しようと考えていたら、今日、二人が揃って私の仕事場にやってきた。

改めておめでとうと喜び合ってから、「これからどうするの」と話したら、もじもじしてから二人が言った。

「島でヘルス・センターをやりたいんです。
そして島の人たちを助け、恩返しをしたい。」

それは良いアイデアだと、私も考えていなかっただけに驚いてしまった。

確かに大きめの村にはヘルス・センターがあって、けっこう人が集まっているのをよく見かける。
通常だとカオハガンはヘルス・センターを置くには、少し小さめのサイズだが、ここにヘルス・センターができたらすばらしい。

もちろん、予防注射、日常の病気、病人のケアー、出産のヘルプなどをしてもらいたい。
それから、もう10何年も年に二回以上島に来て歯科診療をしてくださっている澤田先生のグループの歯科医療を、島に常駐する看護の専門家がいたら素晴らしく充実させることができるだろう。

それから、私が一番やってもらいたいのは家族計画である。

島のような面積が限られている地域では、人口が増えればどんなに環境を守ろうとしても限度がある。
今、島の暮らしの環境が少しずつ良くなってきている。ありがたいことなのだけれど、島を出て行く人の数はほとんどいなくなる。
昔は生まれた子どもの3分の1が3歳になる前に亡くなっていたそうだが、医療の援助をし始めてから、そんなことはまったくなくなった。人口が増える要素が重なっている。

家族計画しかないと考えて、バッキング先生の仲間のお医者さんグループにお願いして、今までファミリー・プランニングのセミナーをもう何回もやってきた。
が、常駐している専門家がヘルプしないと、これも、なかなか結果が出ない。そんなことも一気に解決されるかもしれない。

将来が明るくなるなあと、一気に想像が膨らんで、何かとてもハッピーになってしまった。

フィエスタには、私が自腹を切って、二人のために豚の丸焼き、レチョンをして祝うつもりだ。

お世話になった皆さん、ほんとうにありがとうございました。

カオハガンにて 崎山克彦

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2009年5月11日 (月)

2009年5月カオハガン日記再開!

諸事情により、休止していたこの「カオハガン日記」を、
2009年5月より再開いたします。

皆さまよりのコメントもぜひお寄せいただきたいのですが、
カオハガンにはインターネットの設備がありません。
随時オンタイムで崎山が確認できませんことをご了承ください。

もちろん、いただいたコメントは定期的にカオハガンへ送らせていただきます。

今後ともよろしくお願いいたします。

「南の島から」事務局
原 育美

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2007年1月14日 (日)

年の初めに、今後の五年間を考える

 新しい年が明けて、もう二週間が経った。カオハガンに暮らしの中心を移してから、もう十六年目に入ったことになる。早いものだ。
 ほんとうにたくさんの方々のご支援を受けて、カオハガンでの私たちの活動は順調に進んでいる。
 初めからそれを目指していたわけではないのだが、考えてみると、今、私たちはカオハガンという場に、島民たちと一緒になって、新しいコミュニティを創造しているのだと思う。新しい方向に向かっての、二十一世紀の新しいコミュニティを。そして、その運動のひとつとして「カオハガン・ハウス」の運営をしている。私は、そのように理解している。
 島民たちとの信頼関係はしっかりと築かれている。恵みの深い自然環境を守り、衛生、医療、教育などの、暮らしに最低限必要な「ニーズ」もかなりしっかりと満たすことができた。

 私は、今年からニ〇一一年までの五年間を、新たに始まる五ヵ年ととらえ、心を新たに、意欲的に、計画に取り組んでいきたいと考えている。
 その新たに始めたいと思う計画を、少し詳しく書いてみよう。

一 島民たちの暮らしのニーズが満たされていると書いたが、それは、私たちの金銭的な援助に頼っている面が強い。
 今後の五年間に、島民たちに経済的に自立してもらうことを考えたい。
 ひとつには、島民の収入をもう少し増やす。そして、医療、教育などへの出費の一部を、直接に負担してもらうことだ。
 次に、現在、ニーズを満たす経費の大部分を負担している「カオハガン・ハウス」の経営を、島民たちの手に委ねてしまいたい。島民たち自身が運営する会社の利益で、自分たちの医療、教育を満たすということだ。
 もちろん、有志の方々からのご寄付は今まで通り期待したい。が、上記のように、島民たちに直接に、間接的に、自分たちの医療、教育にかかるお金を負担してもらう。
 そのためには、島民たちの「自律をするのだ」という強い意思が欠かせない。その面でも、種々の活動を進めたい。

ニ その他の大きな資金源のひつとつして、この五年間に「フィッシュ・サンクチュアリー」を育てるつもりだ。
 ラプラプ市から、カオハガン沖に、約三十六万平米の広さの「フィッシュ・サンクチュアリー」を創る許可をいただいた。セブの「サン・カルロス大学」の支援をいただいて、それをフィリピンでいちばんの、模範になるような漁業保護区に育てたいのだ。
 島民の中から、何人かのダイバーを育てる。ひとりをサン・カルロス大学に送って海洋生物学を学ばせることも考えている。そのほか、警備、管理、経理などに二十人近くの雇用を生み出すことができるだろう。
 カオハガンの珊瑚礁の海に、たくさんの魚たちが戻ってくる。海の幸が豊富になる。近隣の海にも魚が増えて、人々が潤うだろう。
 何年か経ってから、そこを、細心の注意を払いながら、ダイバーその他の海好きの人たちに開放する。入域料をいただき、それが、島民たちの福祉を大きく支えることになるだろう。
 そして、数年が経ち軌道に乗ってからは、サン・カルロス大学の協力を得て、しゃこ貝、あわび、そして真珠の養殖も始めたいと思っている。
 海に囲まれ、育まれたカオハガンの文化として、最適な企画だと考えている。

 もちろん、今まで続けてきたいろいろな活動はしっかりと続けていく。そして、上記の二つの新たな活動の目的として、意欲的に進めていくつもりだ。

 私自身は、今までの仕事はできるだけ、青木マネージャー、島民たち、NGOで協力してくださっている方々にお任せしたいと望んでいる。
 この五年間、少し忙しすぎた感じがしている。カオハガンの基本的な運営が、少しずつ安定してきた今、より自由に時間を過ごしたいと考えているのだ。
 初めのころのように、より島民の中に入って暮らす。もっと自然と遊ぶ。本をゆっくりと読みたい。そんなことをして、「南の知恵、哲学」とは何かを、しっかりと考えてみたいのだ。今後の世界の進むべき方向を考えるときに、ほんの少しでもお役に立てるような、「南の思考」を考えてみたいと思っている。

カオハガンにて 崎山 克彦

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カオハガン島

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【news!】 カオハガンキルト唯一の公式販売サイトがオープンいたしました。カオハガンキルトの販売や展示会の催しをしています。http://caohagan.net/

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2006年12月 7日 (木)

カオハガンの自由な犬たち

 カオハガンには犬が四十匹くらいいるでしょうか。島中を舞台に、自由に、犬本来の暮らしをしているようです。ボス犬がいて、それを中心にグループをつくり暮らしています。上下関係がはっきりとしていて、どの犬もその掟に従って生きているようです。
 今、カオハガンには二つの集団があるようです。「カオハガン・ハウス」で飼っている五匹の犬の集団、アボ、ブッチ、ボゾ、ガンス、ザカと、村の犬たち。
 ほぼすべての犬がどこかの家に飼われているようです。が、飼うといっても、日本でのそれとは違って、首輪をかけたり、家から出られないなどということはありません。何匹かの犬は、しっかりと、飼い主から、食事の残りなどをもらっています。が、そこいらをうろついて、観光客の残していった食べカスなどをあさって暮らしている犬もいるようです。
 まだまだ、島民の間には、犬を食べる習慣が残っています。人を咬んだりする犬はすぐに食べられてしまうようで、だから、カオハガンには良い犬だけが残っているのだという人もいます。
 十年ほど前には、ホクシーとブルドッグという強い二匹の犬が各々の集団を率いていて、毎日のように、縄張り争いの喧嘩を繰り返していた時代がありました。今は、そのような大きな喧嘩はほとんどなく、犬たちも平和な世を楽しんでいるようです。
 私は小学校の四年のときに戦争が終わって、焼け野原の東京で暮らしていたのですが、そのときの犬と人間の関係は、ちょうど今のカオハガンでのようでした。食事時以外は、ほとんど家には戻ってきません。飼われている犬と、野良犬が一緒になって、自由にうろうろとしていました。私も一匹犬を飼っていたのですが、学校から帰ってくると、いつも途中まで犬が出迎えてくれて、一緒に帰ったのをなつかしく思い出します。

 今、日本では何十年ぶりかに、狂犬病が亡くなった方が出たそうですね。二人ともフィリピンで咬まれたとか。へんな影響が出ては困ると思ってこのブログを書いています。
 カオハガンには岐阜県の可児(かに)市で獣医をやっていらっしゃる石黒先生のグループが、定期的に島に来てくださり、犬、猫に狂犬病の予防注射をしてくださっています。安全ですので、ご安心ください。

 カオハガンでは犬に躾けといったものを一切していません。が、ほんとうにとても良い、かわいい犬たちです。
 日本とは、また変わった、犬たちの暮らしを見るのも楽しいですよ。

カオハガンにて 崎山 克彦

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2006年11月19日 (日)

貧しさというコンプレックス

 先日のフィリピンのお盆休みのとき、島に戻ってきたいた奨学生を集めて集会を開いた。久しぶりに元気な顔が集まったが、何人かが来ていない。管理を任せているレベッカ、ベロニカの話では、バッキン先生の学校でミド・ワイフ(保健婦のような資格)の勉強をしている、オーグスティーナ、バージニア、アリシアの三人が欠席しているとのことだ。
 バッキン先生は、セブで病院をやっていて、数年前に学校を新設した。介護、ミド・ワイフ、そして近いうちにナースのコースも始める計画があるそうだ。バッキン先生は、私がセブで信頼している二人のフィリピン人の一人、エレナさんの幼馴染である。まだ学校としては新しいが、校長のバッキンさんをはじめ、先生方も顔見知りということで、オーグスティーナとバージニアを入学させた。
 二人は、まず六ヶ月間の介護のコースを終え、ミド・ワイフのコースに進み、一年が経過したろころだ。それに、今年の四月にハイスクールを卒業したアリシアが加わったという経過だ。三人は学校のもう目の前に下宿を借りて、生き生きと、楽しそうに通学している。
 何日かして、島に戻ってきた三人をレベッカとベロニカが連れてきた。始めは、三人で顔を見合わせてなかなか話をしてくれなかったが、事情はこんなことだった。一ヶ月前にバギオ、台風の小さいのが島を襲って、強い風が吹き、島民たちは磯に出てその日のおかずにする小魚をとることができなかった。出費がかさみ、学校に通っている子どもたちに渡すお金がなくなってしまったらしい。奨学生に選ばれると、学費、教科書代、下宿代などは支給されるが、交通費、食費は自分たちで負担している。月に千円ちょっとくらいのお金だが、家族にとっては負担になることがある。台風の後、そのお金、アローワンスがもらえなくて、やむなく一週間休んでしまった。次の週は下宿には行ったのだが、学校には行けず、さらに二週間休んでしまったという。
 「どうして休んだんだ?」。もじもじしていたが、聞きただすと、「お金がなくて学校を休んだというのが、恥ずかしかったからだ」と言う。「えっ、そんなことで学校を休んだのか?」「そうだ」と当たり前のような顔をする。
 「貧乏だということはちっとも恥ずかしいことではないんだよ。あなたたちは自分で希望して、そして選ばれて学校に行っているんだ。あなたたちが選ばれたために、進学できなかった子もいる。それから、あなたたちを援助してくれている方たちがいる。そして、あなたたちに期待を寄せているご両親、島民全体のことも考えなければならない。勉強をして、そして、良い仕事を得て、皆に恩返しをし、他の人の役に立つことが大切なんだ。何があっても、出席をして、良い成績で卒業しなければ。それが、あなたたちのやるべきこと、責任なんだよ。もう一度言うが、貧しいということはちっとも恥ずかしいことではない。それよりも、大切な、責任を果たさなければ」。懇々と話をしたら、「すみませんでした」と、納得したようだ。
 都会に出ると、どうもカオハガンの人は、いつも、「自分たちは貧しいのだ」というコンプレックスを感じて生きているようだ。仕方がないのかもしれないが、もっと自信を持ってほしい。今後も簡単には変わらないと思うが、何かあったとき、その都度、話を続けていくことだろう。

カオハガンにて 崎山 克彦

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島の小学生たち。この子たちの未来には何が待っているのだろう…。

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2006年11月12日 (日)

フィエスタに独身男女が集まった

 年に二回ある「フィエスタ(お祭り)」は島民たちのいちばんの楽しみだ。何で楽しみかというと、この日をめがけて近隣に住む親戚縁者が訪ねて来るからだ。親戚といったってちょとやそっとの数ではない。十人、二十人がすぐに集まってしまう。その人たちに大判振る舞いをするために、可能な限りの借金をする。二日、三日と続く、大ご馳走、大酒盛りが始まるのだ。
 十家族くらいはこの日のために育てておいた豚を殺す。朝からキイーーという豚の悲鳴が響き渡る。豚の丸焼き。大量の貝や蟹を茹でる。魚を焼く。そんなのがご馳走の内容だ。酒はラム・コークと決まっている。
 この日ばかりは島の人口が何倍かに膨れ上がる。人、人、人。それに朝から物凄い音の音楽が鳴り響く。この辺の島峡を回る「ディスコ屋」という商売があって、頼むと、巨大なスピーカーを何台か持ち込んで、配線から、選曲、ちょっとした司会と何でもやってくれる。
 各家々では大宴会が繰り広げられるのだが、あと何があるかというと、キリスト教のお祭りだから、一日は神父様が島に来られてミサを上げてくださる。
 あとは闘鶏だ。闘鶏はこの辺の男たちの最大の楽しみなのだ。以前は、いつでも、週末などに盛大に行われていたが、今では、フィエスタの時だけに限って開かれる。手塩にかけてその日のために育てた鶏を持ち寄り、相手を決めて、足に鋭いナイフをつけ決戦に臨むのだ。勝負はどちらかの鶏が殺されて終わる。たいていはあっという間に終わってしまうが、それが、なんともはかなくて、潔いのだ。死んだ鶏は相手に渡されてバーベキューにされ、食べられてしまう。

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闘鶏…の準備練習。

その他に、今年は六つのチームが参加した「カオハガン・バスケットボール選手権」が開かれた。それから、「リトル・ミス・カオハガン・コンクール」。どうやって選ばれたのか、小学生のなかからすでに七人の候補者が選ばれていて、ちょっとした演技をしたり質問に答えたりする。
今年の質問者は学校の先生だった。「ゴミが落ちていたらどうしますか?」「拾ってどうするのですか?」「燃えるゴミと燃えないゴミとに分けて、それぞれのゴミ捨て場に捨てます」「なぜ分けるのですか?」「わかりません」。なかなか面白い。しっかりと答えていた、ホアンとサンタの次女ジョナが、今年のミスに選ばれた。
 この十月のフィエスタは、別名「独身の男女のためのお祭り」とも言われている。近隣の島々に住む若い男女が大挙して押し寄せてくる。一目でそれとわかる「おかま」も混じっている。暗くなった九時ころから村の中心のバスケット・コートにそんな若者が集まってきて、大音響のディスコ・ミュージックをバックに踊りまくるのだ。
 実際、最近の、島でのケースを見てみると、そんな祭りのときに出会った近隣の島々の若者との結婚が多いのだ。カオハガンに生まれ、育った者は、ほとんどが血のつながった親戚同士。これはなかなか理に適った出会いの場となっているようだ。
 今年のフィエスタは十月の二十一日と二十二日の週末の二日間。その二、三日前から大音響が響きはじめ、普段あまり見かけない顔が増えてくる。そして、数日、大騒ぎが続いて、もう二十三日にはほとんどの人が島を離れて、いつものなじみの顔ぶれだけになる。 その、祭りの翌日の夜に、「ラウンド・テーブル」という、皆が楽しみにしている催しがあるのだ。親戚縁者、他の島から来た若者たちをもてなして、「お疲れさん。ご苦労様でした」「さあ、今夜は島の人たちだけで思いっきり楽しもう」という夜なのだ。夜の九時ころになって大音響が始まり、皆がバスケット・コートに集まって来る。手に手にお酒のビンをぶら下げている。コートの中央にはいくつかのテーブルが丸く並べられていて、そこに酒を置く。酒のビンがずらっと並ぶ。数えてみたら、ラムのビンが七十五本もあった。
 この日ばかりは、子どもから、お年寄りまで、ほんとうに皆が着飾って集まってくる。皆が顔見知り。各々、夫婦で、パートナーを選んで、それから何人かのグループで踊り始める。ほんとうに楽しそうだ。何人かの人が、大きな容器にラムとコークを半分半分に注いで、コップをひとつ持ち、踊りの輪の中を歩き回る。コップに酒を注いで渡す。渡されると、一気に飲み干す。そんなのがけっこう頻繁に回ってくるのだ。「ノー」という人はいない。普段よりかなり飲みすぎてしまうのだが、踊り続けているとそのまま酔いが抜けてしまうのか、あまり酔いを感じない。
 日本から来ているお客さんも楽しそうに踊りまくっている。私はいつもロックリンと踊ることにしている。ロックリンはけっこういい年齢だと思うのだが、根っからの踊り好きなのだろう、何時間踊り続けても平気なのだ。そして、コップが回ってくると、気持ちのいいほど一気にあけてしまう。でも、今年は途中、何回かずるずるとひっくり返って床に仰向けになってしまった。が、引き起こすとすぐに踊り続ける。二時ごろになって、またひっくり返ったとき、誰かがおんぶをしてロックリンを家に連れて帰って寝かせてしまった。それからは、渡辺わかなちゃんとか、クリサンタとか何人かと踊りまくり、「そろそろお終いですよ」とディスコ屋さんがサインを送り始め、「そうか」とストップしてフラフラと部屋に帰って時計を見たら、朝の四時半だった。七時間半も飲み続けながらノンストップで踊ったことになる。いやあ楽しかった。

 次のフィエスタは、来年の五月中旬です。ぜひいらっしゃって、踊りまくってください。待ってまあーす。

カオハガンにて 崎山 克彦

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2006年10月23日 (月)

新しいチャペルでのミサ

 十月の十六日、約一ヶぶりに島に戻ってきた。台湾、日本と、楽しかったが、けっこう忙しい旅だった。
 少し落ち着いてから、気になっていた新しいチャペルがどうなったかを見るために、ラウイス(村)に行ってみた。
 思わずハッと息を呑んでしまったのだ。何か、印象派の絵画を見ているような、うつくしさだった。
 澄んだ高い高い空色の空。そして、高い屋根。その下に、壁がまったくない広い広いスペース。太い柱が薄い黄色と空色に塗られていて、その塗り方があまりうまくなくて、いかにもローカルぽくてカオハガンらしいのだ。周りに建っている島民たちの粗末な家々、そして、高く茂った木々の明るい緑。それらの背景と、ほんとうによくマッチしている。
 ちょうど学校が引けた時間帯だったのか、大勢の、そう五、六十人くらいの子どもたちが周りの広場で遊んでいる。石蹴りをしたり、ゴム輪の塊を指ではじいたり、いろいろなゲームをして、夢中になって遊んでいる。
 平和で、ほんとうに、うつくしい光景だった。何か、うれしくなって、涙が滲んでくるような感激を受けてしまった。

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(左:改築中のチャペル)

 正直言って、私はこのチャペルの強度に多少疑問を感じていた。
 古いチャペルをそのままにしておいて、まず周りに数本の太い柱が立てられた。それから、その上に建物を覆ってしまうように高いトタンの屋根が作られた。その後で、古い建物が取り壊され、その崩れた破片を埋めて土台が作られているときに、私は島を離れてしまった。だから、屋根が、下から強い風を受けたときに飛ばされてしまうのではないかという感じをずっと持っていたのだ。しかし、十二本の柱の上にしっかりとした天井が張られ、その心配はまったくなさそうだ。
 周りの地面からは、三十センチほど上がって、コンクリートを張った床がしっかりと作られている。建物の外側に建てられた太い柱から、さらに一メートル以上外側にまで床が広げられ、とにかく広いのだ。
 内部は、祭壇に向かって両サイドに、昔からあった茶色のベンチが二列に並べられている。が、中央の部分にはかなり広いスペースが開いている。
 とにかく、周囲に開いた、広々とした建物だ。あの教会独特の重苦しさはな<、そうかといって荘厳さがないわけではない。ちょうど良いバランスなのだ。すばらしい、カオハガンらしいチャペルである。この設計を村長のヘリーさんがひとりで考えたというから驚いてしまう。

 十月二十一日、二十二日の週末はカオハガンのフィェスタ(キリスト教のお祭り)だ。二十一日の午後に二つ隣の島オランゴ島の教会におられる神父様が来られ、二十一日の午後四時ころからと二十二日の朝にミサをしてくださるそうだ。
 四時ちょっと前にチャペルに行ってみたら、もう椅子はぎっしりと人で埋まっている。外側の、コンクリートの床の縁を取り巻いて作ってある三十センチほどの高さの段に腰をかける。
 女性と子どもがほとんどで、大人の男はパラパラだ。皆それなりの晴れ着を着てめかしこみ、晴れ晴れしく賑やかである。真ん中の広く開いたスペースを小さな子どもたちが歩き回り、犬が寝転んでいる。
 カオハガンでは、通常は毎月、第一水曜日に神父様が来られミサが行われている。新しいチャペルの柿落としというか、初めてのミサは、すでに先日行われてしまっているらしい。
 今日はオルガンが持ち込まれ、生の伴奏付きで荘厳な、ミサが始まった。耳慣れたいくつもの賛美歌が歌われる。神父様のお説教はビサヤ語で話されるから内容はあまりよくはわからない。
 最後に近くなって、両手を挙げ、隣の人と手を結び合い賛美歌を歌う、それが終わると、前後左右の人と笑顔で挨拶を交わす。私はこの部分が大好きなのだ。皆と一体になった感じがして、とても良い。
 ミサが一段落したところで、紳父様が話し始めた。
 「新しいチャペルは、たくさんの人々の協力と努カで完成した。そしてカオハガンのサポートを続けてくれている日本の方々がすばらしい協カをしてくださったことに心から感謝をしたい。」
 うれしかった。そして、島民からの、強い、暖かい拍手を受けたのだ。島民と私たちが、より一層強く結ばれたことを、心から感じた。
 ミサが終わってチャペルの入口付近に立っていたら、神父様が近づいてこられ、「ありがとう」と握手をしてくださった。感激をしてしまった。
 このカオハガン・チャペル改築のための寄付の呼ぴかけに応えてくださった大勢の方々に、心かからのお礼を申しあげたい。ありがとうございました。

 ミサが終わって、皆が手に火の灯った蝋燭を持ち、花で飾った聖台を中心にゆっくりと島内を一周した。プロセッションといわれる行事だ。
 もう暗くなった、村や森を、たくさんの蝋燭の淡い火がちらちらと、賛美歌の清らかな響きとともに通り過ぎる光景は、夢のようにうつくしかったのだ。

カオハガンにて 崎山 克彦

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2006年9月10日 (日)

島はゆっくりと、そして、活気に満ちています

 レスディ先生が「カオハガン小学校」に赴任してきてから二週間、確実に学校に活気が出てきた。先生の大きな声。生徒たちの明るい、はきはきとした反応。学校付近の伸び放題だった植木が刈り込まれ、学校付近にはほとんどゴミが落ちていない。
 先日レスディ先生と話し合い、とにかくヒーナイヒーナイ(ゆっくりゆっくり)といろんな改革をやっていこうということになっている。これから、カオハガンの教育ははっきりと良く変わっていくだろう。

 ジュディスが、今、二ヶ月の予定で島に帰ってきていて、夏休みのインターンシップをカオハガン・ハウスでしている。毎日七時半にはオフィースにやってきて、青木さん(日本人スタッフ/マネージャー)について日常の業務をこなしている。それから、同じ「立命館アジア太平洋大学」から二人の学生がインターンシップに来ており、もう一人の学生が二週間の長期休暇でやってきている。同じ大学から四人の学生。皆で和気藹々とやっている。皆で毎日、自主的に島のゴミを拾って歩いている。ジュディスの日本語も仲間うちの会話としてはもうかなり完璧だ。明るさとまじめさはすばらしい。しかし、これから、いろいろな経験をし、思考を積み重ね、人間としてもう少し成長してほしいなと思っている。
 このような若者たちが、これからどのような生き方をするのか、とても楽しみだ。

 先日、キルトの会合があって、カオハガン、パンダノン島のキルトを作っている人たちが「キルト・ミュージアム」に集まった。六~七十人はいただろうか。上半期に作られたキルトから、優秀な作品を二十点選んで表彰したのだ。表彰者の名前が呼ばれると皆が大騒ぎ。受賞者の中には泣き出してしまうものもいた。いくつかの分野で金賞をとったのは、エルニン、ジョセフィーン、ポリン、カルメン、イシアン、ガンガン、マリクルと、パンガナン島のヴィックヴィックの八人。キルトの表彰は初めて。これから励みになるだろう。

 最近は、台湾からのお客様が多くなっている。昨日までは十九人のお客様のうち七人が台湾からだった。皆でひとつの食卓を囲んで、ほんとうに楽しいのだ。

 チャペルの改築も順調に進んで、もう床がすっかりと出来上がった。一段高くなった、広々としたスペースだ。自分たちのチャペルを創るのに、皆が、生き生きと働いている。

 皆様のご支援が、少しずつ実ってきているのを感じています。ありがとうございます。

 カオハガンにて 崎山 克彦_2_1

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南の島のジュディス
http://www.kentei.co.jp/jast/southern/

9月長野、11月横浜にてインターナショナル・キルトウィークにてカオハガン・キルトが展示販売されます。
http://viq.com/

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